介護の海の泳ぎかた vol.2
ー 家族以外の力を借りる

 

介護の海に放り出されたのは、32歳の頃。

実家に出戻った私を待っていたのは、突然すぎるがん宣告を受けた母と、退職後どんどん引きこもりがちになっていった、認知症の父との生活だった。

当時認知症の診断がすでに下りていた父との生活は、想定の範囲内だった。
ただ、あまりにも予定外だった母のがん発覚が、我が家の土台を根本的に揺るがした。
家族の平穏というのは、それぞれの健康的な生活をベースに紙一重で成り立っている。誰か一人が崩れ、そこをカバーしようとする人がまた崩れたとき、一気に土砂崩れが起こる。

ああ、どうしよう。困った。
何をしていいのかはわからないけれど、このままでいたら、泥舟に沈むことになる。それだけはわかる。父の介護は母が中心に立つ、そのつもりでいた家族全員の予定が狂った。
もう、家族だけでは成り立たない。誰かの力を借りなければ。

介護サービスの力を借りる ー 要介護認定の取得

4歳上の兄と9歳下の弟はいるけれど、同居している長女の私が、介護の中心に立つのが都合良さそうなのは明らかだった。

まずは介護サービスを利用しはじめよう。
福祉関係に明るいおばに付き添ってもらい、地域包括支援センターへ出かけたのが介護の海へ踏み出した大きな第一歩だった。

あまのさくや(2021)『32歳。いきなり介護がやってきた。』(佼成出版社、p.80) より引用

物理的な手続きとして、要介護認定は必要だった。
要介護認定を取得し、ケアマネージャーさんに伴走してもらいながら、デイサービスの利用をはじめた。
この頃の父は自分の意思での外出が難しくなっていて、なおかつ入浴を拒否するようになっていて家族と毎日言い争いをしていた。父親がお風呂に入るか入らないか。
本来は娘にとってどうでもいいはずのことに労力を奪われるのにほとほと嫌気が差し、まずケアマネージャーさんに相談したのはお風呂のことだった。

入浴サービスといえば、浴槽を積んだ大がかりな車が自宅にきて、スタッフの人が父を入浴させる、そんなハードルの高いものを想像していた。
実際、ハードルを高く高くしていたのは私の勝手な思い込みで、デイサービスにお風呂があるので、そこで入浴サービスが受けられますよ」とあっさりと言われ拍子抜けした。
施設でも入浴拒否をするのではないかとハラハラしていたが、「気持ちよさそうにしてましたよ」とあっさり言われてまた驚く。家族から離れ、プロの手を介すると、こんなに気持ちが楽になるとは。

「銭湯」の力を借りる ー 自分の逃げ場を見つけて、息つぎをする

ここ数年の悩みであった入浴問題が一気に解決したことは、すべてを家族で解決しようとせず、第三者から物理的なサポートを得ることの大事さを教えてくれた。
両親と暮らしていく上で困ったことは、いったんケアマネージャーさんに相談してみれば良い。そのルートが確保されただけでもずいぶんと安心感があった。
しかし一方で、自分自身の心のケアは、まだまだ足りていなかった。

今までずっと仲良く過ごしていた家族だったが、父の変化により母へのストレスが圧倒的に増えた。
私も同居しはじめてからは、何度も同じことを聞かれたり、自宅で仕事をしていると突然部屋に父が入ってきたり、逃げ場がないような、息が詰まる想いがした。
そんなときは、家を出て銭湯に行くようにしていた。主に行っていたのは、高円寺にある銭湯「小杉湯」だ。

駅まで向かう途中で「ミルク風呂」の看板の文字に惹かれることはあったが、大人になるまで入ったことはなかったし、銭湯に行くという習慣もなかった。
だけど何度か通ううちに、気づけば自分の体が小杉湯を求めるようになっていた。今日は仕事もはかどらなかったし、父とも喧嘩しちゃったなぁ……
という日、「せめて銭湯に行こう」と重い腰を上げ、深夜12:00頃に小杉湯へ向かう。小杉湯は、深夜1:30までという高円寺民向けの営業スタイル。その時間でも人は少なくなく、若い人もいれば、中高年の方もいる。

小杉湯にあるのはあつめのお湯が2種類と、子どもも入りやすい温度のミルク風呂、そして水風呂。
スーパー銭湯のような広さではなく、まちの銭湯というサイズ感ながらお客さんは多い。だけど不思議とパーソナルスペースは保たれ、静かな譲り合いがあるので不快さはない。ときに初めて会う常連さんに話しかけられたりもする。

知っている人じゃないけれど、ただそこに人がいて、みんながお風呂に入って、それぞれの時間を過ごしている。完全なひとりではなく、知らない誰かとそこにいられる。誰にも邪魔されない、私のための時間を過ごせること。その事実が心地よかった。
あつ湯と水風呂を行ったり来たりして温冷交代浴をしたあとの体は、夏は湯上がりに汗をかきにくくなっていて、冬は体が芯からポカポカしている。体が温まると自然と心がゆるまって、小杉湯から家へ帰る道のりは、行く前よりもずっと息がしやすくなっていた。

介護は、どうしたって息が詰まる瞬間がたくさんある。息つぎをしなければ、介護の海は泳ぎきれない。
それは人によって、美味しいものを食べるとか、散歩をするとか、スポーツをするとか、それぞれ違うものがあるのだろう。私にとってとても身近な息つぎスポットは、銭湯だった。

地域の力を借りる ー 「社会的処方」で、安心な場所を作っておく

そんな銭湯・小杉湯は、「社会的処方」実践の場でもある。
社会的処方とは、薬以外に、地域・人とのつながりを処方することでその人の健康を増進するという考え方で、イギリスでは制度として定められている。

あまのさくや(2021)『32歳。いきなり介護がやってきた。』(佼成出版社、p.176) より引用

もともと小杉湯の常連だったつながりから、医療・福祉従事者、番頭・番台、大学教授、カジノディーラー、デザイナー、役者などさまざなメンバーが中心となって「小杉湯健康ラボ」というチームが立ち上がり、私も参加させてもらうこととなった。現在も、理学療法士の講師と共に街を歩く「夕焼け散歩」などを開催している。

振り返ると、父がなかなか自力で外出しなくなってしまった頃、母はよく父を散歩に連れ出そうとしていた。丸一日の散歩を終えて家に帰り、数分後には父はもうその日のできごとをすべて忘れている。
病気とわかってはいても、今日という日はなんだったんだろう、と母がガックリしてしまう日は少なくなかった。

そんなときに、小杉湯健康ラボと出会えていたなら。リハビリに行こう、ではきっと面倒がる父も、「みんなでまち歩きでして、カフェでも寄って帰ろうよ。若い子もいるみたいよ」という誘い文句なら喜んで参加したことだろう。
たまたま参加した散歩で出会った人たちが医療・福祉従事者で、おしゃべりから仲良くなり、カジュアルに身近な心配事を相談できたりする。そんな、楽しそうな選択肢に気がつけると、家族の風通しが良くなることもある。

あなたの近所にも、銭湯に限らず、人と人が自然につながってしまうような場所はないだろうか。気になれば、「社会的処方」というキーワードをお守りに探してみるといいかもしれない。
社会的処方は介護や病気のためのものではなく、快適な日常生活を送る手段の一つであり、それがいざというときに相談できる相手を作っておくことにつながる。

いきなり介護や病気がやってきても、気負わず、安心できる場所を探し、作っておく。
それだけで、のちの自分が楽しめて、救われる日が来るはずだから。

【お知らせ】
そんな小杉湯健康ラボから「介護する人・される人の銭湯息つぎプロジェクト」が誕生しました。
毎月第四金曜日にオンラインで行われるおしゃべり会をはじめ、介護する人・される人や、介護が気になるという方と対話する機会を作り、不定期でイベントも開催。
より良く、楽しい方へ向かうための息つぎポイントを見つけていくプロジェクト。こんな悩みを抱いているのは自分だけではないと知るだけで、救われる想いもあるはず。
気になったらぜひイベントなどをチェックしてみてください。
介護おしゃべり会、次回の開催は8/25(金)21時〜22時です。詳細はこちら