仕事を引退した父は母とよく旅行や趣味のゴルフをしたり
友人と食事会・OB会などにも積極的に参加して楽しんでいました。
その当時の我が家の生活構成は実家に父・母・私が同居。
他の兄妹はそれぞれ結婚していてさほど遠くない距離に住んでいました。
なので家族行事で集まったりして互いの状態なども把握できるよう状況でした。
漫画にも描きましたが当時の私は日中は仕事場で深夜帰宅がほぼ毎日だったので母ほど父の変化にも気付きにくかったこともあり、病院の診療を受けにいくまで母がそこまで悩んでいることも気づかなかったのです。
私も父の行動で気になることもあったのですが父の性格がそこまで変わってきてはいなく、穏やかなで優しいマイペースな父には変わりなかったので、さほど心配もしていなかったのです。
時々目にする父の変化に気付くたびに「あれ?おかしいな?どうしたのかな?でも、、、まさかね、父に限って…ね」というちょっと目を背けていた感もあったのかもしれません。
“父は一家の大黒柱で頼れる存在で、変わりない存在でいて欲しい”
という意識も強すぎたのかな、とも思います。
同時に親にはいつまででも元気でいて欲しいという願いも強く、
現実に変わりゆく父の姿をきちんと受け止めきれていなかったのも正直なところです。
現在では高齢者のうちの4人に一人が認知症(予備軍)など言われているくらい身近な存在になったけれども、当時はまだ少し認知症に対する理解も少なく、父と認知症が遠く離れた存在なように思っていたのです。
父と常に生活を共にする母は父の異変が心配になり病院を受診。
最初の病院での検査結果は漫画にも記載しましたが「アルツハイマー型認知症」の薬を処方されたのですが後に病院を転々と受診し最終的に「レビー小体型認知症」と「パーキンソン病」と診断されます
この2つの病気は「アルツハイマー型認知症」とはまた異なる性質を持つ脳の病気になります。
詳しくはもう少し先のお話で描かせて頂きますがこの検査結果に辿りつくまで約2年程かかったのです。
今思えばもっと早く正しい診断が出ていてそれに適応する薬を早く飲んでいたなら進行は遅らせることができたのかもしれない、母だけに任せてしまわないで私ももっと積極的に関わって病院にも付き添えば良かったのではと後悔することもあります。。。
そしてこの初期の段階から更に刻々と父の状態は変わっていきます。
父も自分の身に起きていることへの違和感・苛立ち・恐怖・悲しみも沢山あったと思います。
父の心情にも今後、触れていきたいと思っています。
まだまだ続く父と家族物語、描きたいことが沢山ありすぎて時間もかかっていますがお付き合い宜しくお願い致します!