大学時代の友だち、Aちゃんから電話があった。
彼女と他愛もない雑談をするのは、いったい何年ぶりだろう。ひと通りの近況報告を終えたあと、少し言いづらそうに、彼女はぽつりぽつりと親御さんの話をしはじめた。
最近物忘れがあったり、体の動きが鈍くなったり、以前は見られなかった行動や言動があるのだという。20代で出会った彼女とはこれまで恋の話も仕事の話も散々してきたけれど、もうお互いに40代も近づくと、病気や介護というキーワードがちらつくようになってきた。
彼女にも、「親の老い」と向き合うときがきたのかもしれない。今まで見たことのない親の姿を目前にしたとき、子どもとしてはやはりショックが大きいのだろう。
はじめて父の異変を感じたとき、私は20代だった。ある時、「○○へ行く」と行って出かけた父が、目的地にたどり着けずに帰ってきたことが、信じられなかった。
30代になる頃にはますます父の物忘れはひどくなり、やがて時間の感覚が狂いだし、真夜中に朝だと勘違いして母を叩き起こすこともあった。外での待ち合わせができなくなり、約束をすっぽかされることも増えた。
こんなの父じゃないと思うような姿を見るたび、私も家族も戸惑い、父と母のケンカも増えた。
その後若年性のアルツハイマー型認知症である診断が下りたわけだが、診断前、いわゆる「認知症グレーゾーン」だったときほど家族の苦労は圧倒的に多かった。
本人ができないことが増えると、家族の負担が増える。今までのふつうは、家族だけでは到底成り立たなくなってくる。
介護と呼んでいいのかどうかもわからない、他の人に話せば大げさだと思われてしまうかもしれない、だけど何かがおかしい。
この先私は、仕事を退職したり引っ越しをしたりしなければいけない? 在宅介護? 老人ホーム?
思いつく限りの0か100の選択肢の中でももやもやする微妙な時期にも、できることは実はいっぱいある。
そのときに大事なことは、本人の行く先を考えるだけではなく、本人を取り巻く環境、家族、そして自分をいかに守るか。そのひとつが、「つながりをつくっておく」ことだと思う。
私が現在暮らしている岩手県・紫波町(しわちょう)には、地域のつながりの場を作っている人がいる。
コミュニティナースの星真土香さん(一般社団法人 くらしの研究室)は、町内で「畑の台所」を開催している。
― みんなで作って食べる「畑の台所」
(コミュニティナース・星真土香さん)
「地元の公民館を借りて、月に一回、みんなで料理を作って食べる会を開いています。『いただきますは12時です』の合言葉に、みんなが集まるんですよ。
昨年の9月から始めたんですが、300円で食べられることもあってか、今日は50名ほど来ていました。0歳から90歳まできていましたね!(笑)」
「私は、病院看護師や在宅医療の訪問看護師・研究職の経験が合計17年あるのですが、5年前に地域おこし協力隊の制度を使って、地域の健康を考えるコミュニティナースとして紫波町で活動するようになりました。
はじめは健康相談にのるような『暮らしの保健室』を屋内で行なっていたんです。だけどコロナ禍もあって、屋外という場所の選択肢が増えてもいいなと思った時に、自分の好きな『畑』をフィールドにしようと思い立って。
そこから周囲に手伝ってもらってビニールハウスを立てたり開墾したりして、誰でも立ち寄れるコミュニティ畑を始めたんです。畑の台所で提供する食事には、そこの畑で採れたものや、縁のある方から野菜を仕入れて使っています。自分たちや、地元の顔が見える生産者さんが作った野菜を食卓でいただく。いわゆるFarm to Table(ファームトゥーテーブル)を、私たちなりに実践しています」
「コミュニティ畑と公民館で、『ÖCHAKO(オチャコ)』という、毎週誰でも来て立ち寄れる場を作っています。そこで土を耕したり種を植えたり水やりしたり、草を取ったり収穫したり。
さまざまな作業がありますが、そこに参加してもいいししなくてもいい。自由におのおの好きな場所で過ごしてもらっています。そよ風が気持ちいい竹林の中で本を読んだり、ビニールハウスの中でごろんと寝ころがっている人もいれば、ペンキ塗り作業をしたり、体操を教えたり、教わったり。何にもしゃべらない人もいます」
看護師としての現場経験も豊富ながら、とにかく明るい星さん。
ツッコミどころも満載の彼女がそこにいるだけで周りはなんだかにぎやかに、元気になってしまう。ついでに、健康になってしまいそうな気すらする。
― 人が来るヒントは、「胃袋をつかむ」こと
「畑は目的がなくても来られる場所ですが、畑の台所は『いただきますは12時です』とだけ明確に決まっているので。やっぱり美味しい食べ物があるというと、人は来ますね。
病院だと定期受診があって、二週間後に来てくださいと言われたらいかなきゃいけないけれど。でも胃袋をつかむと、人は来る。だから本気で胃袋つかもうとしてます!私。
そのためには、美味しいと思う生産者さんから野菜を買って、なるべく新鮮で旬のものを使っています」
畑の台所で提供する食事は、「うす味」になるように塩分計で調整。
「家での味つけが濃いめになりがちだけれど、出汁がきいているとしょっぱくしなくても良いことがわかって、ここでの味を覚えてます」と言う人もいるそう。
「今日も9時から来て設営手伝ってくれた人や、何か手伝いたいです、仕事はないですかって言ってくる人が結構いてくれるんです。テーブルや椅子を並べてもらったり、お皿洗ってもらったり、運んだり。手伝っていただいてるのに『役に立てて嬉しい』と言ってくれて。
12時を目指してごはんを食べにきて、少しおしゃべりをしてさっと帰っていく方も多いです。このお昼の一時間を楽しみにきてくださっているんですよね。
近所に住んでいてもなかなか顔を合わせる機会がないようで、「ひさしぶり」なんて声を掛け合う人たちも見られます。みんな、人との交流を求めているんですね。
畑に来る人の相談の八割は野菜についてです(笑)。健康相談は、ご本人よりもご家族やお友達についてのことが多いですね。家族が動くことで、本人を支えることにもつながります。」
― 孤立せず、家族の健康を守ること
「孤立して、つながりが限られていると、他の視点が入ってこないじゃないですか。畑の台所も畑も、自分ひとりの生活圏内では出合わない人と顔を合わせるようになっているんですよね。
話をしてもしなくても、そこにいるだけで情報は耳に入ってきますし。これ問題だったんだ、助けてくれるところがあるんだ、ということに気がつくきっかけにもなるかもしれない。
つながりの場って、そういう効能があるんですよね。ここにいる人たちの中には医療・福祉に携わる人も多いので、具体的に何か動こうと思った時に相談もできる場になっています。」
「誰かの健康を作るには、本人だけではなく、ご家族の健康も大事なんですよね。さらにいえば家族の人間関係や、それをとりまく地域の環境まで、何層にも重なっているんです。
本人は家から出て来られないけれど、家族が息抜きに畑に来ていて、『なんだか楽しそうだな』と引っ張られて来てくれることもあります。『今日畑行っててさ、星さんがカラフルなパンツ履いてたよ』とか、そんな話を家でもしているそうで(笑)。
家族のことをもやもやと家で考えすぎているより、『畑行ってくる!』くらいの切り替えが大事だったりもします。」
― あなたがあなたらしく生きられないなら、問題
「家族に何か変化があったとき、私が我慢すればどうにかなるとか、世の中にはもっと大変な人がいるとか思う人もいるかもしれませんが、自分の今までの生活リズム、パターンが崩れるのであればもうそれは問題なんです。
あなたがあなたらしく生きられないのであれば問題としてとらえて誰かに相談すべきだと思います。
生きてればいろんな問題に直面しますよね。たとえば失恋とか、大切なひとの病気とか、喪失とか。変えられない現実を受け入れなきゃいけないときって、つらいと思います。
でもそんなときも、生きていかなきゃいけないし。そこから自分で考えて進める、生きられる力は大事だと思うんです。
何かに直面したときに本人主導で考えられる能力が身につけられることが、健康につながるというか。つらいときには誰かに「つらいよ、助けて」「ヘルプ!」って言えることも能力だし、どんなときでも楽しめる状態に持っていくのも能力。特に楽しむ能力に関しては、私自信あるんですよね(笑)」
星さんの活動は、「社会的処方」の実践の場でもある。
社会的処方とは薬以外に、地域・人とのつながりを処方することでその人の健康を増進するという考え方で、イギリスでは制度として定められている。
第二回では杉並区にある銭湯「小杉湯」で実践されている例を紹介した。
自分の身近な場所に、人のつながりが生まれやすい場所は、あるだろうか?
家庭や学校や職場でもない、日常的な場に、いわゆるサードプレイスのような場所。
「社会的処方」は、そんな場所を求めるキーワードとして、お守りのように持ってもらいたいと思う。
Aちゃんのそばにも、あなたのそばにも、そういう場所があるといい。今のあなたにできることは、そんな場所があるのだろうかって、探し始めることかもしれない。
話を聞いた人:星真土香(ほしまどか)
1981年生まれ、岩手県奥州市出身。一般社団法人くらしの研究室代表理事。「畑の台所」や「ÖCHAKO(オチャコ)」などの活動を通じて、その人がその人らしくいのちを保てる、新たな医療の場をつくるべく奮闘中。健康を培う”Farm to Table“が全国各地に広まるよう、視察研修も受け入れている。https://note.com/madokat/n/n2cd8a1d0b050