– 親とむきあう - わたしの場合 vol.2
実家じまいという選択

母の病気と家族で向き合った13年間。人生の中でも葛藤と悲しみと苦しみと、そのおかげで感じることのできた当たり前の毎日がどれだけ幸せかということ。母のいない日々が過ぎていく中で、実家じまいという現実と向き合うことになります。鹿児島と東京の2拠点生活だった私たち夫婦。実家に1人になった父。

三回忌が終わるまでは母が寂しくないように実家を残しておきたいと、週に何度か実家に行っては父が心細くないように、きちんと栄養を取れるように一緒に食事をしたりして過ごしました。その間も少しずつではありますが、実家の片付けを同時進行。母の旅立ちから数ヶ月間は、そのままになった母の部屋に行く度に涙が溢れ、思い出が蘇り、呆然と時間が過ぎ去っていく日もありました。それでも時間は平等に過ぎていき、気持ちの整理も本当に少しずつですが、できるようになりました。

父が寂しくならないよう作った食事

無事三回忌を終え、いよいよ具体的に動きだします。実家じまいという現実は、言葉では言い表せないとても寂しい選択でした。実家のローンがまだ残っていたことや、みんな一緒で暮らした方が近くで様子がわかり安心できるということから、家族全員一致で実家を手放すことを決断しました。

・家族と一緒に実家を整理するということ

実家は、祖父や叔父も一緒に暮らしていたことがあったため、祖父、祖母、叔父、母、父、私のものと、6人分の荷物がありました。父がまだ住んでいる中での片付け。実家は、父と母が人生をかけてつくったお家です。家族の幸せを願い、家族の思い出を紡いできた場所。父の気持ちの整理は娘とは違う思いがあり、寂しく辛かったのではないかと思います。

私は18歳で実家を離れ、東京、海外と引っ越しも十数回。その度に、ものを選択してきたので、ものへの執着は少ない方。父は、お家をつくるために図面を引き、材料を集め、中学生だった私は父と倉庫をつくり、手作りも詰まったお家。娘である私は、悲しい気持ちは封印して強い気持ちで父を引っ張っていく責任を感じていました。

父と作った倉庫や、手作りの椅子

まずは母の部屋から、本当にいらないものを整理していきました。そして、屋根裏部屋、祖父の部屋とあまり使っていない部屋から少しずつ。実家に何度も通って取捨選択をして、少しずつ少しずつ。もう使えないもの、まだ使えるもの、使えるけどもう使わないもの。一軍、二軍、三軍とわけて、そこから更に時間をかけて選択していく。家族で休みを合わせて、その作業を繰り返しました。捨てたものはトータル十数トン!

燃えるゴミ、燃えないゴミ、粗大ゴミ、金属ゴミ。自治体によってゴミの選別は異なると思いますが、仕分けもとても大変でした。大雑把にわけることはできるけど、意外と細かい仕分けがあるんですよね。ゴミ出しの日は、家の壁に、燃やせないゴミは、割れたガラス、陶磁器類、金属ゴミは、鍋、アイロン、ポット、傘など、紙に大きく書いて貼り、一目で仕分けできるよう工夫したりしました。レンタカーを借りてゴミ処理場と家の往復。休みの日にまとめてエイヤー!で。業者には頼まず、家族で全てやり切りました。

片付けをして、すっきりした実家

・母のことを整理することの心の難しさや大変さ

母の部屋を整理するということは、母と2回目のお別れをする、そんな気持ちでした。母の洋服、アクセサリー、母が集めたもの、好きなもの。母がひょっこり現れそうな、思い出がいっぱい詰まった部屋。怒られたり、語り合ったり、母のいない時にそっと口紅を塗った思い出も。母のにおいも残っていて、まだそこにいるような、そんな中での片付け。自分の心と折り合いをつけながら前に進まないといけない。

人間遅かれ早かれ、誰にでもいつかは訪れること。それが少し早かっただけ。そう言い聞かせました。母がいないと生きていけないと思っていた私でも、頑張って踏ん張って乗り越えることができました。

・二年半かけてできた、わたし的実家じまいのコツ

実家じまいを振り返ってみて「時間をかけたこと」「客観的に取り組んだこと」で、気持ちを整理しながら片付けをすることができました。1度で片付けるなんてまず無理です。自分が生まれた時からの思い出の品、代々続く家族の歴史、母の大切なものが詰まっているわけですから、捨ててしまったら、その大切な思い出まで捨ててしまうことになる。。。最初はそんな風に考えてしまい、なかなか進めない自分がいました。

「時間をかけたこと」で、1回目に捨てられなかったものが2回目の片付けで捨てれるようになり、それが3回、4回と続く中で覚悟を決めていくことができました。「客観的に取り組んだこと」は、この世代ではなく、次の世代の気持ちで考えてみたことです。捨てられないままたくさんのものを残してしまったら、将来自分たちの子どもが大変な思いをしてしまうかもしれない。当時、私にはまだ子どもはいなかったのですが、そのことを強く思いながら片付けを進めました。

・手放したもの、手放せなかったもの

実家じまいで手放したものは、ものへの執着です。「捨ててしまったら、その大切な思い出まで捨ててしまうことになる」最初はそう思ってしまい、捨てることに躊躇していたけど思い出は心の中にしっかり刻まれている。それを自分に言い聞かせました。母がつくってくれたランチョンマットや文房具入れ、母からの手紙、両親が頑張って買ってくれたピアノなど、母の気持ちが込められたものは大切にとってあります。母の思い出、選抜メンバーです。

母がつくってくれたランチョンマット

母との思い出のもの

両親が買ってくれたピアノ

もう1つ、実家じまいを経験して、ものの消費について深く考えさせられました。生活の中で使っているものはほぼ同じなのに、家の中はもので溢れかえっている。経済は、生産と消費があって成り立っているわけだけど、1つの家庭で十数トンと捨てた事実があり、消費とはなんなのか、本当のSDGSとは何なのか。生産と消費の在り方について考えるいい機会にもなりました。

この経験がきっかけで、わが家は究極のSDGSを実践しています。とても簡単です。新しいものを買う前に、思い出選抜メンバーのことを思い出し、できる限り大切に使うこと。

実家じまいには、心の葛藤、寂しさや悲しみ、いろいろな心の動きがあります。それを経て心のびやかに、いろいろなことを受け入れる準備ができていくのだと思います。言葉にできないたくさんの思い出は心の中にあります。実家じまいから4年が経った今、わが家には新しい家族が増え両家同居という生活スタイルになり、実家が恋しくなる暇もないほどささやかで忙しい毎日を過ごしています。

もちろん母の思い出と共に。

実家を片付けたあと、父と撮った記念の一枚

次回は、今も大切にしている母との思い出などについて綴ります。