– 親とむきあう - わたしの場合 vol.3
残しておきたい母のこと

・ 大切な母との思い出

母の旅立ちから7年が経ちました。2歳の息子を育てながら仕事をして、まばたきしたら夜になっているような毎日。母のことを思い泣くことはだいぶ少なくなりましたが、母のことを考えない日はありません。息子が成長するにつれて、母もこんな気持ちだったのかなと、母の当時の思いと重ね合わせてしまいます。

第3回は、母のことについて書かせていただきます。

まずは、母との思い出の品。

第2回のコラムで、実家じまいについて書かせていただきましたが、その際捨てずに残った母の思い出、選抜メンバーたち。私が幼稚園の時に母がつくってくれたランチョンマットや文房具入れ、昨年末は、同じく幼稚園の時に買ってもらったクリスマスツリーを息子と一緒に飾りつけ、息子の弁当箱は、母が私に作ってくれてたものを使い、食器も母が好きで集めていたもの、仕事で大切な商談がある時や気合を入れたい時は母のお下がり服を着たりと、私の毎日は母が大切にしてきたものと、その思い出に包まれて過ごしています。インスタグラムのストーリーでたまにアップしますが #1人物持ちよすぎ選手権です。

母がずっと大切にしてくれた手紙のやりとりや、連絡帳

母のお下がり服を着て

コラムを書いてる今も、母の持ち物に囲まれて安心感と共におります。

・ 元気なうちにしておいてよかったこと

両親共に共働きだったため、家族で旅行へ行ったのは数える程度。中でも、最初で最後となってしまった母との2人旅は、行ってよかったと思います。2011年10月の伊勢神宮参拝、ちょうど30歳の時でした。母は鹿児島から、私は東京から合流しての2泊3日の旅。キャリアウーマンだった母との2人きりの旅は、少しの気恥ずかしさと嬉しさと、母とこんなに長い間いることが久しぶりだったので、当たり前のことがとても愛おしく尊かったことを思い出します。

お風呂の時も、汚れた洋服をお店のようにきれいに畳んでから入るし、チェックアウトの日も、ベットメイキングしたかのように整えてから部屋を出るし、母らしいなと、そんな母をもったことを誇らしくも思いました。たった1回行けたことでも、十分だったかもしれない。でも私は欲張りなので、もしまだ母が元気ならもっともっと一緒に旅行に行きたかったと思ってしまいます。

母と2人で行った思い出の旅行でのツーショット

闘病中の母が「病気が治ったら、一緒にいろんなところに行こうね」と、言ってくれました。今まで仕事ばかりでそんな時間を使ってこなかったことをとても後悔していたように思いました。

当たり前の日常がどれだけ尊いことなのかを教えてくれた母のおかげで、両家同居という生活スタイルになった我が家は、週に2〜3回みんなでごはんを食べ、たわいもない会話をし、息子の成長を楽しみ、ささやかな日常を穏やかに過ごしています。まだ家族が元気ならば、いろんなところへ行ったり、たくさん話をしたり、今のうちに思い出をいっぱいつくることをおすすめします。

両家でクリスマスパーティー

・受け継いでいきたい母のこと

季節の行事を大切にする母は、おせち、七草粥、鏡開き、ひな祭り、十五夜、クリスマスと、手づくり料理で季節を感じさせてくれました。そんな母の王道レシピは、私がしっかり引き継いでいます。お正月のおせちは母にとっても年に1度の大仕事。私も毎年手伝ってはいましたが、母がやってくれるからと、うわべだけの手伝いでした。でもある年、お母さんがいなくなってしまったら。。。と、母に教えてもらいながらレシピをノートに書きとめたことがありました。そのノートのおかげで、母の味を再現することができ、ここ最近は父にも褒めてもらえるまでに腕が上がりました。

母のレシピを書き留めたノート

母のいないお正月を迎え、母のように上手にできない悔しさと途轍もない寂しさで、4年間は泣きながらつくりました。7回目にもなると、レシピノートも開くことも泣くこともなく作れるようになりました。継続と経験はマジで力なり。毎年手づくりでお節をつくって偉いね!とよく言ってもらえますが、母への感謝の気持ちのつもりです。母に褒めてもらいたいし(笑)今年も頑張ってつくりました。

母から受け継いだお節料理

そして、母はよく手紙を書いてくれました。筆圧がたかく大きくしっかりとした文字で、生きた言葉をたくさん綴ってくれました。そんな母の姿をみていたからか、わたしも手書きの手紙をよく書きます。

そう考えると、母の生きてきた人生が私の人生にしっかり埋め込まれていて、母の存在がどれだけ大きかったことかを、年々教えてくれます。母のことを書きはじめると止まりませんね。ここでは書けない苦労もたくさんたくさんしてきた母でしたが、強く温かくまっすぐで美しい母でした。そんな母の全てを受け継いでいきたいと思って生きています。

・今、私にとっての母の存在

1人っ子の私は、幼い頃から両親がいなくなったら1人だ、という感覚が強くありました。「私たちがいなくなっても強く生きていける子になりなさい」と言われていたこともあるのかな。親がいなくなってしまうかもしれない恐怖がどこかにあって、母とは特に強い繋がりを感じていたので、母がこの世からいなくなったら私は生きていけないとも思っていました。そんな私でも母の死を受け入れ、今こうやって生きている。

子ども時代 母と過ごしたクリスマス

それは、今まで真剣に子育てに向き合い愛情を降り注いでくれた母の愛と、母が旅立つ直前に書いたであろう「100年分の幸せをありがとう」という小さな手紙のおかげでもあります。母の旅立ちは早かったわけではない、100年分生きたんだ、そう思えるだけでどれだけ救われたことか。

母の言葉、考え方、生き方は私の人生の後押しとなり、原動力になっています。

ずっと大切にしている、母からの小さな手紙

母が生きたかった明日を精一杯。

親と向き合ってきた今まで、今、そしてこれからを等身大の視点で綴っていきたいと思います。引き続きお付き合いよろしくお願いいたします。