この連載では、instagramでもご自身の夫の在宅介護を綴っていらっしゃる、イケヤイクコさんに、ご自身のいままでのこと。そしてこれからのことを語っていただいています。
私は、両親に『自分の思うように生きろ』と育てられ、その両親の方針にブレはない。
自分たちより年上で、さらに認知症の疑いがあった夫と結婚すると伝えても、両親は、全く反対しなかった。
もし反対したら、今までの教育方針を捨てるのかと、ブチギレてやろうと思っていたが、そこは貫き通した。
だが、単に、両親が、反対するというエネルギーを出し惜しんでいるだけのように感じることもある。
私は、両親の背中から、苦難に対して逃げる姿勢しか学ばなかった。そして、その姿を軽蔑していた。
方や夫も、苦難に対して逃げてきたようで、やはりその姿勢を軽蔑していた。
ただ、夫と両親の違いは、それを棚に上げて、私に厳しくできたか、どうかだ。
夫は、自分のことをとてつもなく高い棚に上げることができた。
だから、言っていることは的を得ているのだけれども、超絶理不尽であった。
『自分がされたら嫌なことは、相手にもしない』といわれるが、もしかしたら、その嫌なことは、相手の今後にとっては必要なことかもしれない。のである。
私と夫は、『自分の思うように生きてきた』という点で似ていて、だから夫は、それだけではダメなことをよく知っており、自分の人生で学んだことを、高エネルギーで私にフィードバックしてくれた。
その夫が認知症になり、私は、結婚して一緒に暮らす道を選んだ。
そこには、さまざまな理由があるけれども、あれだけ私にエネルギーをぶち込むことができるのだから、私のエネルギーぶち込むに値する人であると思ったのも、そのひとつだ。
そして、夫と結婚してから、4年後、母がパーキンソン病だと診断された。
認知症とパーキンソン病は、どちらも今の医学では治らない病気であり、今まで通りの生活ができなくなっていく病気である。
私は、夫が認知症になったとき、夫と結婚して、全力で夫を幸せにすると決めた。
そして、母がパーキンソン病であるとわかったとき、面倒くさいことになったなと思った。
私は、認知症になり、わかったことがわからなくなっていき、できたことができなくなっていく夫と、徹底的に向き合い寄り添ってきた。
そして、傍で夫と向き合う私がいるから、夫が自分自身の病と向き合うことができていると感じている。
私が夫と向き合い寄り添えるのは、夫が、私に、同じようにしてくれたからだ。
けれども、両親は私と向き合ってくれなかったし、必要なときに寄り添ってくれなかった。
今後、母は、病になった当事者として、そして父は、母を支える家族として、弱音を吐きたくなることもあるだろう。
その弱音を私が聴くのか。
私は、両親のおかげで、思いやりのある優しい人間に育ったので、聴くだろうが、思いやりや優しさだけでは、どうしようもできない場面になれば、手をひく。
それはどんな場面か。
『脅え』に対しての『支え』である『寄り添い』
『寄り添うために相手と向き合うこと』と『相手が自分自身と向き合えるように支えること』
夫は、私によって、向き合いたくない自分自身と向き合わされた。
『されたら嫌だとわかっていても、相手の未来にとって大切だと思えばする』
そのかわりに『全力で支える』
夫にはできるけれども、両親にはできない。
それに、あの人たちは、私のこのやり方には、ついてこられないだろう。
でも、これが私の介護の核である。
私にとっての介護とは、『育てること』である。
老いて、死に近づいていくその人を死ぬまで育てつづける。
どのような人に育ってほしいのか。
夫に対しては、『このように育ってほしい』という、私の強い願いがある。
けれども、両親に対しては、不幸でなければいいな、それぐらいだ。
わが子の子育てを放棄した両親を育てたいとは、思わない。