前回はきょうだいと腹を割って話す、ということを書きましたが、今回も「腹割り」シリーズ第2弾。こうやって書くと、腹筋を割る方法のようですね。
あいにくそうではなく、親と腹を割って話す問題。
親が歳をとっていくに従ってお金のことを筆頭に、切り出しづらい話のテーマはどんどん増えていきます。これからどこでどうやって暮らしたいか、延命治療はどうしたいか、最期はどう迎えたいか。
暗黙のうちに、親の死に向き合うことでもあります。
私が切り出すのに一番緊張したのは、家族信託について相談する時。まだ親がギリギリ介護未満の時でした。
この話題に触れるということは、これからの人生をどう過ごしたいか、介護状態になったらどうするかなど、むっちゃ言いづらいセンシティブな一連のテーマにも触れるということ。
でも避けては通れない。私にとって介護における最初の関門でした。
その時は実家で親と3人でテレビを見ていました。
「この番組が終わったら切り出そう」
とココロの中で決める。
両親はぼんやりと画面を眺めています。
番組がエンディングに近づくと、ドキドキしてくる。でも今しかない!と腹をくくる。この感じ、何かに似てる。
あ、思い出した。高校時代、好きだった先輩に告白する前の感じだ。全然、ロマンティックじゃないけど。
なぜこんなに緊張するかというと、相手がどう反応してくるかがわからないから。
それは自分が「望む」ものなのか、そうではないのか。そしてこれを口にしたことで、相手との関係性が変わってしまうのではないか。だから怖いのです。
また相手の距離が近ければ近いほど、「照れ」というハードルも降りかかってくる。
でも待てよ。これって、親に対してだけではない。
前回触れたのきょうだい、パートナー、コドモたち、仕事の関係者にも当てはまる。
そもそも、私は腹を割って話しているんだろうか?相手の反応が怖いからと言って、お腹の中にため込んでいるのではないのか?もしくは自分で勝手に想像して、勝手にもやもやしている?
さて、話を元に戻します。
そのテレビ番組が終わって、私は思い切って話しました。自分がどう思っているのかも伝え、親のキモチも聞いた。言ってしまえばなんてことなかった。そこから、いろんなことが動き出ました。
その後父と衝突することもあったけど、常に私は自分のホントのキモチを伝えました。
親も言ってくれたと思う。だから介護状態になっても、できる限りの道を選択できたと思っています。
今思うとこんなに親と腹を割って人生やら生き方について親とのは、親の晩年になって初めてかもしれない。
さて親の介護をきっかけに、すっかり腹を割って話せるようになった私。パートナーにもコドモたちにも、思っていることはいいことも悪いことも言えるようになりました。ココロの風通しがよくなった。
「照れ」を乗り越えるのは、回数しかないです。