遠距離介護中は、とにかく自分が気分転換できることを心がけていました。自分のキモチ、カラダが回復するための処方箋を持つこと。自分が倒れたら、介護はさらに大変になります。
前回でも書きましたが、気分転換にはカラダを動かすのが手っ取り早い。それ以外の私に有効だった処方箋は、ピアノでした。
山口⇄横浜を飛行機で移動する私。ある日、羽田空港の第2ターミナルにストリートピアノがあることに気づきました。それも立派なドイツ製のグランドピアノ!!調律もちゃんと施されている。
幼少の頃から始めたピアノは、大学受験を前に一旦お休み。その後再びピアノの前に座ったのは、30年以上経った40歳を過ぎてから。ジャズピアニストの国府弘子さんと知り合う機会があり、とっくに消えたと思っていた「ピアノを弾きたい熱」がメラメラと急上昇。山口でピアノを購入し、再び弾きはじめました。
実家にもピアノがあります。
アネと私が家を出てから、誰かがそのふたを開けることはほぼ、ありませんでした。最後の調律もたぶん今から40年以上前。
リビングに置かれたピアノの前には、親のための手すりが設置。ピアノのふたすら開かない状態になってしまった。そしてその上には介護に関する書類や父母のいろんな小物がうず高く積み上げられて、もはやピアノの形を留めていない。何か雑然としたキャビネットのようになっていました。
さて初めて羽田空港の雑踏の中でピアノを弾いた時は、もちろん大緊張。
でも大きな吹き抜けにピアノの音が舞い上がって空気中に消えていくさまを感じていると、自分の中にたまったモヤモヤも一緒に昇華されていくのです。
それ以来そのピアノの前を素通りできなくなりました。
「絶対ピアノなんか弾く余力はない」
という介護が終わって山口に帰る時のヘロヘロ状態でも、ピアノの前に座って鍵盤を叩くとどこからかエネルギーが補充されて、弾き終わった時は元気になっている。
その効力を実感してから、ピアノが空いているときは吸い寄せられるように、必ず座っています。
なんだか不思議。
ピアノを習っていたコドモ時代は、練習が大キライ。でもオトナになって自分から再開した今は、誰にも頼まれないのにスキマ時間を見つけてコツコツ練習。空港のピアノも、新たなモチベーションになっている。
そのおかげで遠距離介護ができている、と思うと私にピアノを習わせたのは母の先行投資だったのか!?
この自分なりの処方箋を持つことは、介護だけでなく日常生活全てにおいて役に立ちます。