



高齢の両親は横浜、アネは京都、私は山口で暮らしています。
ここでも何度かこの位置関係を、取り上げてきました。今回から遠距離介護をどのようにしてやってきたか、という話をします。
親(当時父87歳、母84歳)の老化が一気に進んだのはコロナ禍のこと。それまで1ヶ月に一回、仕事で東京に来た折に様子を見に実家に寄っていました。
でも緊急事態宣言を機にしばらく実家には足を踏み入れず、やり取りは電話のみ。コロナワクチンの予防接種の付き添いのため親に対面で会ったのは、半年ぶりです。
父に認知症の症状が出始めている!!母は歩くのが難しくなっている!
親の老化は想像以上に進んでいました。
すぐに包括支援センターに行き、ケアマネージャー、介護事業所の紹介をしてもらう。
そして両親は当時「要支援1」でしたが、介護度の区分変更を申請。いよいよ、介護の始まりです。
アネと私は遠距離介護を選んだのですが、それには以下のような理由があります。
1. 親の、コドモの生活を守る
京都のアネとはまだ親が元気なとき、親が介護状態になったらどうするか、と事前に話し合っていました(きょうだいと腹を割って話してる?)。
「できる限り家で生活したい」という親のキモチは聞いていました。
そしてアネも私も、現在の拠点を変えない(変えたくない)。
だからまずは遠距離介護でやれるところまでやる、と合意していました。
アネは仕事上、京都を離れるのは難しい。
私はフリーランスなので、時間や場所はある程度の融通が効きます。だから親の近くに一時的に住むことも一瞬考えました。
でも実家にいると親にはことあるごとに私の名を呼び、また私もそれを受け流せない。
私は全く仕事ができないし、親の自立の妨げにもなる。だからその考えは却下!
2. 飛行機が使える
遠距離介護を大きく助けたのは、飛行機です。
山口の私の家から横浜の実家まで、ドアto ドアで約3時間半。950 キロも離れているのに!
ANA、JAL、スターフライヤーが1日9往復しており、日帰りも可能。
飛行機さえ飛んでいれば、何かあった時に駆けつけることが可能です。
また航空会社によっては「介護割引」制度があって、親が要介護になった時にすぐ申請しました。
3. 資金の確保
「親の介護は親の資金で」は大原則。
介護が始まった頃は、アネと私はすでに親の資金を把握していました。母も同意の上、私たちの交通費は全て出してもらいました。仮に遠距離介護が数年続いても、問題ない蓄えです。
こうして遠距離介護の幕が切って落とされました。
一番のポイントは、アネ、もしくは私が実家にいるときに「家族」でしかできないことを効率よくやっていく。
最初の「家族」としての決断は、ヘルパーさんをお願いする、でした。