こうして遠距離介護は始まった その4
自宅介護の限界が見えたとき

ケアマネさんを始め、ヘルパーさん、訪問看護といろんな方の手を借りて、あっという間に4ヶ月が過ぎ、新年を迎えました。

レンタル介護用品も導入して家の中のインフラも整い、これでしばらく遠距離から何とかなるか!という矢先のこと。自宅介護は長く続けられないだろう、と暗示するような出来事が起こる。
父が夜、リビングで突然意識を失ったのです。

幸い正月でアネが帰省していたので、すぐに救急車を呼ぶことができました。これまた幸い、救急車が家に着いた時には父の意識も戻ってきました。結局、救急搬送されずにすむ。
パーキンソン病あるあるで、時間通りに薬を服用しないとこうなるようです。

後で私に電話してきたアネは「一瞬頭が真っ白になった!!!」と証言しました。
そして「自宅介護の限界が見えた!」とも。

思い返せばそのお正月の前月、12月のこと。
母は父と違う医者に長いことかかっていましたが、もう通院することが難しくなったため、訪問医療も可能な父のかかりつけ医にお願いすることにしました。

その母のかかりつけ医に、最後の手続きと挨拶に行った時、
「もうお二人での生活は難しいと思います。施設を探された方がいいですよ」
と言われました。私にとっては意外なひとことだったので、
「ええー、先生も大袈裟だなあ。もうしばらくは二人で大丈夫では・・・」
とココロの中で反論。

でも「先生の預言」は当たった。
1ヶ月もたたないうちに、予言は現実になりつつあります。

今思うと私はあの時、明らかに「親フィルター」をかけていた。ハタから見ると、両親はかなりヤバい状況だったもよう。
アネと私は話し合い、親には言わずに水面化で施設見学を始めることにしました。

まずは今の状態を、何とかできるだけ保つこと。低空飛行でもいいから絶対海に落ちないように!
それに当たって、以下のことをさらに導入しました。

・訪問薬剤師による薬の管理。
服用する薬を一包化(何種類の薬を一回ごとに小袋にまとめてくれる)してくれ、適宜訪問、薬の飲み残しのチェック、薬カレンダーのセッティングをしてくれる。
またヘルパーさんたちも、改めて薬のチェックのお願い。

ここまでは私は月に一回、実家に行くだけで何とかなっていました。
ところが事態はまた急転直下。母が繰り返し熱を出すようになったのです。
時はまだコロナ禍の渦中でした。