「親フィルター」がかかっていることを知る

はじめまして。イラストレーターの上大岡トメと申します。
本州の最南西山口県に住んでいますが、横浜の実家に住む高齢両親(89歳、85歳)の遠距離介護をしています。
そんなことができるのか!?
はい。まあまあ、やってます。
介護未満のころから今までを見返し、

「しまった!これをやっておけばよかった」こと。
また逆に「これをやっておいてよかった!」 なことを、ここで共有したいと思います。

介護のはじまりは突然に・・・

私の介護の始まりは、コロナ禍前、まだ人々の移動が全く制限されていない時。ある日突然かかってきた、父からの電話でした。

「おかあさんが歩けなくなった!」

当時。両親とも大きな病気はなく、2人で自分たちのペースで暮らしていました。というか、少なくとも私はそう思っていた。なのでその電話は、先天の霹靂、のようにも感じました。

その頃の私は仕事に忙殺され、日々原稿と一緒に洗濯機でガラガラ回されているようでした。東京の出張も多かった。
でも東京に来ても横浜の実家に寄ることなく、山口に飛行機でトンボ帰り。描かなきゃいけない山積みの原稿が、家で私の帰りを今か今かと待っているから。横浜の実家は素通りです。

2人のコドモたちは、小さい頃には、夏休み、春休みと1週間実家に帰って、両親にディズニーランドや動物園に連れてもらったりしていた。

でも彼らも中高生になると、受験やクラブ活動という自分たちの世界が忙しくなり、じーちゃんばーちゃんの家から足が遠のく。

母は脊柱管狭窄症、という診断でした。

幸い手術は免れたものの、歩行は不自由。買い物にも行かれません。
父の電話の後、あわてて実家に帰り、久々母に会ってギョッとした。
背中が丸くなってる。

時々マンガで背中が丸いおばあさんを描くけど、ホントにヒトは歳をとると丸くなるんだなと素直に思った。
そして母が今完全に「おばあさん」になっていることを知らされました。

知らず知らずのうちに親は老化している

前回会ったのはいつだったっけ。思い出せないけど、彼女の背中はこんなではなかった。
両親は、私が想像している以上に老化が進んでいた。
これを私は「親フィルター」と呼んでいます。

親フィルター=自分の親は、なんとなく、まだまだ大丈夫な気がする(全く根拠なし)

このフィルターは、親の老化がさらに進んでも発動し、即決しなくてはならない介護の現場でたびたび悪さをする。
その後、母は杖があれば歩くことができるまで一旦回復し、父と2人でなんとか日常生活を送れるようにはなった。
でも、2人ともこれ以上元気になることはない。さらに坂道を下っていくだけ。

まずは電話で、親とのコミュニケーションを

これを機に東京出張の折は、なるべく実家によって様子を見ることにした。
そして1週間に1回、曜日と時間を定めて電話をしようと決めた。例え要件がなくても。

って言いながらも、時々サボってたのです。だって、決してワクワクする案件じゃない。
気が重いのです。母はだんだん鬱っぽくなって愚痴が増えていたから。

よくスマホをスピーカーにして、晩ごはんの準備で野菜を切ったりしながら、母の話を垂れ流すように聞いていた。
定期電話は「仕事」もしくは「介護」と思っていました。

でもこの電話は、この後遠くにいながらにして親とのコミュニケーションを保ち深めていくきっかけになりました。
介護が進んでいくと、親と腹を割って話しをすることは非常に重要な要素になります。
やっといてよかった!

「親孝行したい時分に親はなし」

親の老いに少しでも気づいた時から、まずできるコミュニケーションから始めてみることを、オススメします。

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