タイトル:だれとも血の繋がりがない義祖母宅の掃除奮闘記 vol.4
(後編)祖母が行方不明?!ゴミ屋敷に救急車とパトカーを呼んだ話

・おばあちゃん捜索のカギは…


前編では義祖母が行方不明のため、人生で初めて救急車とパトカーを呼ぶことになった経緯をお話ししました。今回はその後についてお話ししていきます。

夫が呼んだ救急車が到着すると同時に、救急隊の方が家に繋がる道路に青いビニールシートを設置していました。万が一、家の中で義祖母が倒れていた場合に備えての目隠しなのかなと思います。

そして他の救急隊は家をぐるっと周って、どこから中に突入するかを検討しているようでした。

その間に警察官の方々も到着し、夫にいくつか質問をしていました。

「日頃、おばあさんはどんな洋服を着ていますか?」
「おばあさんが定期的に通っている場所はありますか?」
「おばあさんの背格好や特徴などは?」

みなさんは同じ状況になった時にどのくらい答えられますか?

「出かける時は貴重品を全部詰め込んだ大きなリュックかパンパンのウエストポーチを身につけています。洋服は暗めの色味が多かったような…」
「たしか近くの〇〇病院まで歩いて行ってるって言ってた気がします。」
「身長は150cm前半で痩せているけど着込んでいることが多い。年齢の割にシャキシャキ歩きます。」

と、わたしたちは記憶を頼りに絞り出しながら曖昧な回答をしました。

実はこの質問の意図は、パトロール中の他の警察官に共有し探してもらうためなのです。なので、なるべく正確な情報を伝えたいところなのですが、なかなか確信を持って答えられず不甲斐ない気持ちになったことを覚えています。

日頃から気をつけて見ておいたり聞いておけば、しっかりと回答できる内容もありますよね。
今では義祖母と話す時は、最近のことについて聞くように心がけています。

・ゴミ屋敷への潜入は時間がかかる


警察官と救急隊が同時進行でドンドンものごとを進めていく中、救急隊が家の中へ入るのだけは時間がかかっていました。

義祖母宅は玄関と居間以外はゴミが高く積まれています。
義母、夫、わたしの3人で何回か掃除をしていますが、それも玄関と居間だけ。つまりどの窓やドアもゴミがぎりぎりまで積まれているので、鍵を壊しても中に入れないという状況に。

「だから掃除しないとダメだって言ったのに。」
義母がぽつりと呟いたのが聞こえました。

このような状況になってしまうと、周りの人間としては無理矢理でもゴミを捨てておけばよかったと思う気持ちもでてきますが、きっとそれはうちの義祖母にとっては正解ではないはず。

どんな理由や状況でここまで溜め込んだかは知らないけど、周りの人は長年手を貸してきたし、本人が変わろうと思えばさらなる手助けができる状態を作ってはいたので、それを義祖母が選ばなかっただけ。

いつか使うかもしれないものが身の回りにたくさんある方が安心するという価値観は、わたしには到底理解はできないけれど、義祖母は若い頃に戦争を経験しているし、これは人それぞれ違って当然のことで、義祖母が選んだ生き方の結果だと思うんです。

それでもいざ”このゴミ屋敷が原因で命に関わる状況”に陥ると後悔が止まりませんでした。

・はじめまして、ご近所さん


その後、縁側の比較的ゴミが少ない窓から家の中に突入。その後はゴミを押し分けながら家の中を捜索しつつ、家の中から玄関の鍵をあけてもらいました。

倒れているとしたら居間あたりではないかと、夫が救急隊に伝え探してもらいましたが、義祖母の姿はなかったとのこと。
とりあえず一番最悪なシナリオ、家の中で義祖母が倒れて意識を失っているということを回避することができました。

ホッと安心して顔をあげると、目隠しのビニールシートの奥にたくさんの人混みが見えました。
救急車にパトカー、そして目隠しのシートなどなど、これは一体なんの騒ぎなのかと心配したご近所さんが集まっていたのです。

義祖母の家は住宅街の中にありますが、今までご近所さんと顔を合わせたり、ご挨拶をしたことはありませんでした。またほとんどの家がここ10年ほどで建て替わっており、夫も義母も知り合いはいない様子。

そんな中、ビニールシートを越えて一人の初老の男性がわたしたちに近づき、声をかけてきました。

「そこの角に住んでいて、義祖母さんとも面識のある〇〇です。どうしたんですか?」

正直返答に困りました。まだ義祖母は見つかっていないし、もしかしたらどこかで倒れている可能性だってあるから現状を伝えにくい。この人を通して、現状がおもしろおかしく近所に知れ渡ってしまったら、たとえ無事に見つかったとしても義祖母は暮らしにくくなるんじゃないか。そんなことが一瞬頭をよぎりました。

夫も義母も同じような考えだったのか、ご挨拶だけして特に詳しいことは話さずに救急隊と警察官の聞き取りへと戻りました。

でもそのご近所の方は、
「この辺りの自治体の組長を現在やっていて、職業は元警察官です。詳しいことを教えてください」

と続けるのです。正直なところ、「知ったところでなんなんだ。まだ話せないということは、話せる状況じゃないと察してくれ」と思う気持ちがありました。
(今考えると心配して声をかけてくれた人にすごく失礼なことを思ってしまったなと反省しています。当時は義祖母が無事に見つかるか不安な状況だったので心に余裕がなかったんだと思います。)

大きな騒ぎになってしまっていることは事実なので、夫から端的に事情を説明しました。

事情を聞いた近所のおじいさんは、手がかりになればと最近の義祖母の様子などを教えてくれました
教えてくれた情報の中には、わたしたちが知らないこともいくつかあり、「遠くの親類より近くの他人」、まさにこのことだなと思いました。

・捜索開始から2時間が経過

家の中に義祖母がいないことが確認でき、救急隊のみなさんは帰ることに。
「とりあえず、何もなくてよかった!この後、もしなにかあればまたすぐに呼んでください!」
と、とても優しく心強い言葉をかけていただいたことが印象に残っています。

そこからは警察官2名、夫、義母が捜索願を出すかどうかの話し合いが始まりました。心配して声をかけてくれた近所のおじいさんとわたしは、二手に分かれて家から近所のスーパーあたりを探しにいきました。

警察を呼ぶ前に探している道だったので、その道で倒れていることはないとは思いつつもドキドキしながら小走りで確認していきます。

・ようやく義祖母を発見

そして急にその時が訪れます。小走りで近所を一周して夫たちの元へ戻ってきた後、近所のおじいさんと義祖母が逆の道から歩いてきたのです。

「おーい!見つかったぞー!」
とおじいさんの声。全員が安堵のため息をもらしました。義祖母もいつもどおりスタスタと自分一人で歩いており、とくに怪我などもなさそうで無事でした。

ここからは色々と答え合わせをしていきます。まず、事前に警察のヒアリングで回答していた義祖母の格好について。

わたしたちは”大きめのリュックかウエストポーチに洋服は暗めの色味が多かったような…”と回答。
現れた義祖母の格好は明るめのピンクのチュニックに黒いズボン。そして晴れているのにビニール傘をさしている”でした。
ビニール傘は杖代わりに持ち歩いていて、気分でさしていたみたいです。(ピンクのチュニックなんて初めて見たよ、おばあちゃん…)

次に”どこで何をしていたのか”を答え合わせ。わたしたちは義祖母がもし用事で出ているだけであれば病院かお昼ごはんではないと思っていました。

正解は、”近くの病院に膝の調子を相談しに行っていた”でした。すでに義祖母が自力で行ける病院には電話をかけていたのですが、初診の病院だったようです。(膝の不調は初耳だよ、おばあちゃん…)

そして事前に会う約束をしていたのになぜすっぽかしたのか。私たちの予想では少しボケてしまったんではないかと心配していました。義祖母曰く、
「会う約束の前々日に(夫が)電話をしてきたときに、明日は行かないことにしたと言った」とのこと。

実は前々日の電話時に会う予定の日を変更しており、「元々会う予定だった日の翌日に行くよ」という電話をしたのですが、”翌日に行く”という部分が伝わっておらず、約束がキャンセルされたと思っていたようです。
これに関しては夫と義祖母のすれ違いですね。

最後に、確認するまでもないのですがなぜスマホが家の中で鳴っていたのか。こちらはいつも通りゴミの中に埋もれて紛失していたから。
スマホは、手元にあれば外出時にはちゃんと持ち歩いているので、家の中で失くして外出したか、家の中で義祖母が倒れていてその近くにスマホがあるかの二択でした。

義祖母本人は失くしたつもりはなく、「先週、バスに乗っていたら盗まれた」「昨日、昼食を食べた食堂に置き忘れて、取りに戻ったらもう盗まれていた」と、いつもの勘違いをしていましたが、今回もしっかりゴミの山の中からでてきました。

・最後に


ゴミ屋敷の掃除をしていたのは2022年〜2023年頃で、この行方不明事件は2023年の93歳の誕生日付近のできごと。そこから1年経った現在は義祖母は94歳になり、介護施設に入居しゴミ屋敷の不衛生な状態から抜け出すことができました。

そしてゴミ屋敷の方もわたしたちが自力でできる範囲を越えてきてしまったので、近いうちに業者の力を借りて解決していく方向で進んでいます。