この連載では、てんさん・夫・夫の母(義母)の3人が、信頼関係が希薄な義祖母の汚屋敷を掃除していくお話をお届けしています。
前回の記事で、「義祖母のお家が相当汚れている」と義母から聞かされていたてんさんが、「冬にストーブを使っても火事にならない程度に片付ける」「夫が困らないように今のうちから片付ける」という目的で義祖母のお家に行き、足がすくむゴミ屋敷からどうにか玄関の床が見えてくるまで片付けたところまでお話ししました。
そして今回は、中に何が入っているかわからない段ボールを開封するところから始まります。
虫!虫!虫!
段ボールの中には未開封の健康食品や、電化製品が入っていました。家の中は床が見えないほどモノで埋め尽くされており、大きなダンボールを開けるスペースがないため玄関に放置されていたようです。
まずは健康食品のダンボールから片付けていきます。中は缶ジュースで推定2〜3kgと重め。5箱ほどある中で、3箱は賞味期限が長くまだまだ飲める状態でしたが、缶にポツポツとなにやら黒い点が大量に付いていました。
わたしはYouTubeでゴミ屋敷の掃除動画を見て予習をしていたので、それが何かすぐに分かりました。
ゴキブリのフンです…
あ!と思ったのとほぼ同時に、夫と義母の叫び声が響きました。
描写するのをためらうほどに、たくさんの虫たちがそこらじゅうを走り回っていました。手元に持っているダンボールからもワサワサ出てくるし、死骸もポロポロ落ちてきます。
もうこれ以上はわたしのメンタル的にお伝えするのがしんどいのでやめておきますが、ダンボールは虫たちの温床になりやすいそうなので、掃除する時はお気をつけください。
濡れ衣が晴れた
義母が叫びながらダンボールを片付け、さらに奥の居間スペースまで辿り着いたのを横目に、わたしは庭にあった巨大化している南天の木を丸坊主にするミッションを自分に課すことで虫たちとは距離を置くことに成功。
放心した夫は玄関で立ち尽くしています。こうなっちゃったら15分は役に立ちませんので放置しておきます。
わたしが1本目の南天の木を丸坊主にしたころ、義母の勝ち誇った声が聞こえてきました。
というのも義祖母はなにか失くなると「泥棒に盗まれた」や「〇〇さんに盗まれた」と言うのですが、義母や夫は「この家の中に泥棒は入れないよ。家のどこかにあると思うよ」と返していました。
このタイミングででてくるでてくる、今まで盗まれたはずのもの全部見つかったんじゃないかと思います。
- 包丁4本くらい
- ハサミ2本くらい
- 通帳
- スマホの充電ケーブル
- スマホ
- 家の合鍵
義母が「人のこと泥棒呼ばわりしていると、周りから人がいなくなりますよ。」とチクリ。義祖母がどんな顔しているのかとチラっと見てみましが、特に意に介さず「あったんだ〜。歳だから忘れた〜。」という反応。「都合のいいお年寄りですこと」など冗談が飛び交いながら作業は続きました。
夫の出番
その後はわたし以外の3人は居間の中を掃除し、わたしは歩道に飛び出た紫陽花の木と格闘することに。
ここからは夫に後から聞いた話になります。居間は義祖母が暮らしているスペースで今も使っているものが多くあるので、捨てるかどうかの判断を義祖母とすり合わせしながら進めていったようです。
他人から見たらゴミ同然だけど、本人は「いつか使う」「使おうと思っていた」「探していた」「使っている」を繰り返すので選別がなかなか進まないというのは掃除あるあるですよね。
義母と義祖母が「これは?どう見てもゴミだけど捨てていい?」「捨てない。今度使うから置いといて」と何度もやりとりを繰り返し、だんだんと空気が悪くなっていきます。
ここで夫の出番です。捨てたくないと義祖母は言うけども、ネズミにコードを齧られている電化製品は置いておくだけでも危険があることや、ゴキブリのフンだらけの通販カタログは不衛生であることを説明したり、捨てたくないというモノへの思い出を聞いたり、どんな使い方しているの?などの会話から、5割くらいの確率で捨てることを了承してもらっていました。
また夫との会話に花が咲いているうちに、義母がネズミに齧られている食品やチラシをバッサバッサ捨てていきます。
(後から義祖母がゴミ袋の中からいくつか古いチラシを取り出していたので、会話に花は咲かせつつもしっかりと見ていたようですね。)
わたしたちは義祖母宅をまるっときれいにすることが目的ではなく、「冬にストーブを使っても火事にならないようにする」「仏壇に手を合わせられる状態にする」がゴールなのでケンカになるほどの無理強いはしたくないし、する気力もないよねというスタンス。
義祖母も孫(夫)を困らせないためにと一歩踏み出してくれたので、その気持ちを無碍にしないためにもちょうど良い塩梅だったんじゃないかと思います。
掃除を通して感じたこと
義祖母宅の掃除は、1回目の2022年10月から月1回開催し、無事火事にならずに冬を乗り切ったので2023年2月末で一旦休止中。また虫が弱ってきた秋ごろに再開しようと話しています。
今回のお話で書いた掃除1回目、わたしは玄関の中には入れてもらえず、基本庭の木の手入れや、外に運ばれてきた紙類をまとめたりしていました。
冒頭でも書きましたが義祖母と信頼関係がないこと、そして何かものが失くなった時に泥棒の濡れ衣を着せられないようにという義母の配慮が大きな理由です。
掃除のたびに、みんなで虫退治に一致団結したり、亡くなった義祖父の作品(書道の先生だったそうです)を見て昔話を聞いたりしているうちに、徐々にわたしと義祖母、わたしと義母との距離も縮まり自然な距離感になっていきました。
5回目あたりでは車庫の中を一人で黙々と掃除したり、玄関の中を拭き掃除したりと、少しずつ家の中に進出できたので、つまりは信頼関係ができたってことかな!とポジティブに捉えています。
人生の最後をどこで迎えるのか
義祖母と話していて印象的だったのは、家がこのような状態にもかかわらず介護施設に入ることを断固拒否していたことです。
言葉が強くなってしまいますが、わたしが掃除をしている時に思ったことを素直に書くのであれば「いくら思い出がある家でも、こんな不衛生でゴミの中で一人で死ぬのはいやだ」でした。それと同時に、「こんなところで最期を迎える可能性があるなんてかわいそうだな」とも思いました。
義祖母と掃除を通してコミュニケーションをとっていく中で、生きていた時代が違うし環境も価値観もなにもかもが違うので、わたしたちの価値観で「こっちのほうがいい」「これはかわいそう」と手や口を出すのは違うのかもと考え直しました。今でも、この環境で最期を迎えさせるのは嫌だなと思ってはいますが…
もし義祖母がこの先、「きれいになったこの家で最期を迎えたい」と希望するのであれば全力で掃除をします。
「このままでいい」というのであれば、義祖母が亡くなった後にこの家をどうするのか話し合い、そのためにできる準備を一緒にしていくことになると思います。
とりあえず希望が出てくるまで、火事にならない程度に片付けを続けていきます。
そもそもゴミ屋敷になってしまった原因は?
義祖母は昔から整理整頓や掃除が苦手で、夫が小さい頃遊びに行くとホコリを洋服いっぱいにつけて帰ってきたと義母が話していました。
そこから老化とともに体力や判断力が落ち、ゴミを分別して出すというのが難しくなっていき、この現状となったのだと思います。
「整理整頓が苦手ではないからわたしや義母は大丈夫だよね?」
そう思って安心したいのが本音なのですが、実は約10年前に実家の掃除をしたことがあり、その経験からだれでもゴミ屋敷の住人になりかねないなと痛感しています。
当時大学生だったわたしは東京で一人暮らしをしており、1年に1回程度実家に帰省していました。帰省するたびに「お風呂がカビだらけ…」「前まで通れた廊下が荷物で埋まっている」「部屋の隅にチラシやフリーペーパーの山ができている」など、実家の両親の暮らしが心配になっていました。帰省している短い期間で、実家にある自分のものを処分したり、気になる水回りの掃除をしていましたが、汚れるスピードには勝てず。徐々にモノが家を侵食しているなと危機感がありました。
その後社会人になり、実家の近くに戻ったので足繁く実家に通い、断捨離を決行。最初は嫌がっていた両親も、徐々に家が暮らしやすくなっていくのを実感し最終的には自分たちで掃除と片付けをしてくれるようになりました。
子どもが全員巣立ったことで状況が大きくかわったことをきっかけに、両親たちが改めて自分たち二人で暮らす上で快適になるように考え、今では自動掃除機が床を走れるくらいに整理整頓されています。
もともと両親は片付けや整理整頓に苦手意識はなかったタイプですが、子育てにより増え続けるわたしたち子どもたちの荷物や、長年の慣れで汚れに気がつかなくなっていたそうです。
また当の本人たちは不便さや汚れていることに慣れてしまい困っていなかったので、あのタイミングで掃除ができなければ今頃ゴミ屋敷になっていたかもしれません。
自力でなんとかなる時期に掃除を始められたのはラッキーでした。
ものを捨てる判断基準
ものを捨てる基準は「どう生きたいか」とセットなのかなと実家や義祖母宅の掃除を通して学びました。自然を感じながら暮らしたい、家事を最小限に暮らしたい、子どもと安全に暮らしたいなど人それぞれ。自分は今どう生きたいかと合うようにものを捨てる基準を持っておくと安心ですよね。
わたしは夫と二人暮らしで、家事の時間を最小限にして好きなことに時間を使いたいと思っているので「モノの管理コストが増えてきたら、管理できてない分だけを捨てる」という判断基準でものを捨てています。
具体的には何年も触っていなかった、壊れたまま放置していた、あることを忘れていた、使い心地が不便で改善のためになにもできていない、などは管理されているとは言えないので捨てる対象。
他にもすぐに手に入りやすい、必要以上の量がある、経年劣化している、この辺の条件が揃うものを手放すと、自分たちで管理しなければいけないものが厳選されて日頃の掃除・メンテナンスなどの家事が減り理想とする暮らしができていると実感しています。
最後に
「めちゃめちゃ家がキレイになって、お正月はおばあちゃんちでおせちを食べました!」みたいな結末を望んでいた方(掃除開始前のわたし)、こんな結末で申し訳ございません。
これが現時点でわたしたちのできることの精一杯だと思います。
似たようなことで悩まれている方の正解にはなれませんでしたが、この経験談がだれかの役に立つことを祈っています。