この回では、家族に頼らずに老後と死を迎える主に高齢者の法務問題に携わっており、現在は、「家族に頼らないおひとりさま」が、いつどんな状況になってもその尊厳が守られるような仕組みを提供している株式会社OAGライフサポート、代表取締役の黒澤史津乃さんに、今の日本で起きている、老後や介護にまつわる家族の問題について事例を交えながらわかりやすく綴っていただいてます。
今の日本では、40年以上前に提唱された「日本型福祉社会」という価値観が根強く残っており、家庭の中で起こる問題はすべて家庭の中だけで、特に女性の手によって解決することが美学であるかのように認識されがちです。
介護保険制度の浸透により、実際の介護については外部化が進展してはいるものの、近年、各分野でリスクマネジメントが進めば進むほど、ケアの領域における「名もなき家族の役割」は増す一方です。
これだけ多様化が受容される時代となり、実際に家族のカタチも多様化しているにも関わらず、なぜかケアが必要になった途端に、重要な方針を決定する主役が本人から家族に自動的に移行してしまう。
そんな現実を具体例からご一緒に考えてみましょう。
【金子美月さん(60)が語る、姉・山下真知さん(63)のその後①】
親の介護のことや親からの経済的支援のことで、お互いにもやもやした気持ちを抱えてはいた、山下真知さん(63)と金子美月さん(60)の姉妹。
亡くなった母親の相続のことで決定的に絶縁関係となってしまい、もう交わることはないだろうと思っていたのに。
ある日、都内の大学病院から美月さんに電話がかかってきました。
「金子美月さんですか?お姉さんの山下真知さんが、救急搬送されて意識のない状態で当院の救命救急センターにいらっしゃいます。医師からご家族の方に説明がありますから、いらしてください。」
美月さんは、それからのことを以下のように語ってくれました。
確かに独身の姉にとって、「家族」といえば私しかいません。
私は、電話をくれた大学病院の人に「確かに山下真知は私の姉ですが、もう関係ありません」と断る勇気がなかった、冷たい人間だと思われたくなかった、今思えばとっさにそんな気持ちになり、「ご連絡ありがとうございます。今すぐ伺います」と答えてしまったのです。
電車を乗り継いで1時間20分、私は、都心にある巨大な大学病院の救急救命センターに駆けつけました。
姉の病名は「クモ膜下出血」。
私が到着すると同時に、今は意識のない姉に代わって、すぐに緊急手術をするとのことで、手術のリスク等の説明を聞き、同意書にサインを求められました。
さらに、忙しそうな看護師から「これ、山下さんのお荷物です」といって、姉が所持していたカバン、姉が身に付けていた洋服、靴、下着、アクセサリー、そしてスマートフォンなどをまとめて手渡されました。
私は、いったい何からどうして良いのか、さっぱりわかりませんでした。
渡されたスマホに着信履歴がいくつかあるようですが、当然、ロック解除の方法も分からない。事情を知らない看護師さんは、私が姉のスマホを手に困っている様子を見て「ご家族でしたら、患者さんの指の指紋でロック解除されてますよ」と明るい声で教えてくれました。
しかし、いくらどこの誰に連絡したらよいのかもまったく分からないからといって、今の私が、絶縁状態だった姉のスマホを勝手に見ることは、どうしても抵抗があります。
呆然としたまま待合室で座っていると、姉の緊急手術が無事に終わったと伝えられました。姉は一命を取り留めたそうです。
全体的に薄口、平凡な顔立ちで母似の私と違って、同じ姉妹でも目鼻立ちがはっきりして父親似の姉の化粧っ気のないスッピンの顔を見たのは、もう40年ぶりでした。
しかし、麻酔から覚めてベッド上に横たわる姉は、大きな目をガッと見開き、アーとかウーとか言葉にならない声を低音で唸っていました。
手術後の医師の説明によると、手術は成功したので、今後数週間を乗り越えられれば命に別状はない、しかし、脳に大きなダメージが残っているので、歩けるようになるのか、喋れるようになるのかなどは、時間が経過しないと何ともいえないとのことでした。
私は冷たい人間でしょうか。
クモ膜下出血から一命を取り留めた姉が、明らかに今後、これまでと同様にまで社会復帰することが難しいであろう状況を目の前にして、「助かって良かった」という感情より先に、
「私以外に、お姉ちゃんの面倒を見る人はいないのだろうか」「お金はどうしたらよいのだろうか」
という現実的な問題への不安感で押し潰されそうになりました。
にも関わらず私は、姉に関する入院の手続きやこれからの治療のことなど、矢継ぎ早に私にすべて決定権があるという前提で、どんどん話しが進んでいってしまう流れを止めることが出来ませんでした。
私は姉の「家族」なんだから、すべて「家族」が手続きをし、治療方針を決定し、お金の支払いも保証する「身元保証人」兼「連帯保証人」になるのが当たり前という雰囲気でした。
もちろん、母のときも同じでしたが、そのときは何の違和感もありませんでした。私もそれが当たり前の娘のつとめだと思っていましたから。
でも、絶縁状態になっていた複雑な関係の姉のことまで、母のときと同じように私がすべて責任をとらなければならないなんて。
複雑な思いはありますが、そうは言っても血の繋がった唯一のきょうだいである姉。私はどうしても見捨てることもできず、流れに身を任せるしかありませんでした。
母のときと違うのは、私が姉のことを何一つ知らないということ。母の相続で裁判になったときの資料で姉の現住所を目にしましたが、記憶も記録もしていません。
病院で渡された姉のカバンの中には、銀座のデパートで買ったばかりの高価な化粧品が入っていました。
もう数十年前に購入したものだと思われる古びた高級ブランドの財布の中には、キャッシュカードやクレジットカードの他に、銀座のカルチャースクールの会員証とともに、安売りで有名な食品スーパーのポイントカードが入っていました。
姉の生活の二面性を垣間見た気がしました。
次回、第2回後編【金子美月さん(60)が語る、姉・山下真知さん(63)のその後 ②】では、美月さんが真知さんのために実際にどんなことをしなければならなかったのかを、お伝えします。