家族に頼らない老後を考える vol.4

この回では、家族に頼らずに老後と死を迎える主に高齢者の法務問題に携わっており、現在は、「家族に頼らないおひとりさま」が、いつどんな状況になってもその尊厳が守られるような仕組みを提供している株式会社OAGライフサポート、代表取締役の黒澤史津乃さんに、今の日本で起きている、老後や介護にまつわる家族の問題について事例を交えながらわかりやすく綴っていただいてます


今の日本では、40年以上前に提唱された「日本型福祉社会」という価値観が根強く残っており、家庭の中で起こる問題はすべて家庭の中だけで、特に女性の手によって解決することが美学であるかのように認識されがちです。

介護保険制度の浸透により、実際の介護については外部化が進展してはいるものの、近年、各分野でリスクマネジメントが進めば進むほど、ケアの領域における「名もなき家族の役割」は増す一方です。

これだけ多様化が受容される時代となり、実際に家族のカタチも多様化しているにも関わらず、なぜかケアが必要になった途端に、重要な方針を決定する主役が本人から家族に自動的に移行してしまう。そんな現実を具体例からご一緒に考えてみましょう。

第1回 前編【金子美月さん(60)の場合】

第2回 後編【山下真知さん(63)の場合】

第3回 前編【金子美月さん(60)が語る、姉・山下真知さん(63)のその後①】

【金子美月さん(60)が語る、姉・山下真知さん(63)のその後 ②】

親の介護のことや親からの経済的支援のことで、お互いにもやもやした気持ちを抱えてはいた山下真知さん(63)と金子美月さん(60)の姉妹。亡くなった母親の相続のことで決定的に絶縁関係となってしまい、もう交わることはないだろうと思っていたのに。

突然のクモ膜下出血により、一命は取り留めたものの、その後、脳に重大な障害が残ってしまった姉の真知さん。真知さんの「家族」といえば、妹の美月さんしかおらず、その後のすべての家族の役割を美月さんが担うこととなりました。

具体的にどんなことをしなければならなかったのでしょうか。美月さんが以下のように語ってくれました。

姉が救急搬送された大学病院は、いわゆる急性期の病院ですから、治療が終わって症状があんていすれば、すぐに退院をしなければなりません。

姉の状況はといえば、入院・手術から1か月半が経過し、ベッド上で介助を受けながら食事を採ることはできるようにはなりましたが、今のところ歩行はできず、意味のある言葉を発することもできません。

もちろん、姉が自分でさまざまな決断をすることはできませんから、すべて決定権は私に背負わされてしまうのです。姉のことなど、何も知らないのに。

クモ膜下出血の場合、発症から2か月以内の症状が安定した時期に、「回復期リハビリテーション病床」に転院することにより、社会復帰のための集中的なリハビリを5か月から6か月程度受けることが出来ることになっています。

急性期の大学病院からリハビリ専門病院への転院に当たっては、「家族」である私が、リハビリ病院の見学と申し込みを行い、転院の日には付き添って大学病院の退院手続き、リハビリ病院の入院手続きなど、何も出来ない姉本人に代わって、すべてのことを私が行いました。

5か月間のリハビリ病院での入院中には、月2回の「カンファレンス」と呼ばれる担当医や看護師、理学療法士らとの情報共有や今後の方針を決める会議に「家族」として出席し、入院中の必要物品を準備して持参しました。

リハビリ病院の皆さんの熱意あるリハビリのおかげで、姉は歩行器を使えば何とか自分の足で歩ける程度にまで回復し、発語ははっきりせず意思疎通には困難さがあるものの、こちらの言っていることは、簡単な指示であれば理解しているようです。

姉に関する意思決定で、私にとってもっとも難しかったのは、リハビリ病院退院後の姉がどこで暮らすかということです。

リハビリ病院入院中に、院内のソーシャルワーカーに教えてもらいながら、姉の介護保険の認定申請を行い、「要介護4」という認定を得ました。本来介護保険は65歳以上の高齢者が使えるものですが、脳血管障害の後遺症の場合は65歳以下でも利用できるとのことです。

選択肢は2つ。クモ膜下出血発病前に姉が借りていたマンションは、そのままの状態になっていたので、そこに戻って在宅介護を受けながら過ごす方法と、賃貸マンションは解約して有料老人ホーム等の高齢者施設に入居する方法です。

結局、一度、賃貸マンションに戻って在宅介護を利用しながら過ごし、同時に特別養護老人ホームに入居申請をしながら空きを待つこととしました。

退院して自宅に戻るといっても、何の準備もなく戻れるはずはありません。入院中で自分のことを何も自分では決められない姉に代わり、私が姉のマンションに出向いて、介護保険のケアマネージャーや福祉用具の専門家による自宅調査に立ち合い、在宅介護が可能な環境にしてから、退院する姉を迎え入れなければならないのです。

リハビリ病院を退院して、マンションでの在宅介護が始まった後も、私は姉の「家族」として、介護保険のケアマネージャーや訪問介護、訪問看護の方々と常に連携しながら、姉の面倒を見つづけなければなりませんでした。

ここまで姉のことをすべて私が対応する中で問題となったのは、お金のことです。

姉と私は、母の相続を巡って裁判までした間柄です。私は母の残した不動産を相続するために姉に多額の現金を支払いました。

それにも関わらず、クモ膜下出血で判断力を失った姉の医療費などすべてを、私が立て替えて支払わざるを得なかったのです。姉のお財布には、姉の銀行口座のキャッシュカードが数枚入っていましたが、当然、暗証番号も分からないので、姉の口座から医療費を引き出すこともできませんから。

そこで、姉の住所地の社会福祉協議会に相談して後見制度に強い司法書士を紹介してもらい、姉に成年後見人を選任してもらう申立てを家庭裁判所に行い、推定相続人が私しかいなかったので、私を成年後見人に選任してもらいました。

姉の成年後見人になった私は、姉の銀行口座から立て替えていた医療費を精算したほか、収入がゼロになってしまった姉のために、障害年金を受給できる手続きを行いました。障害者手帳の申請も行い、受けられる支援はすべて受けられるよう手配をしました。

お金のことで裁判までして争った姉の面倒を、ここまで見なければならないことになるとは、まったくの予想外でした。

これから65歳までしっかり働いて、姉に取られてしまった分の老後資金を貯めなおそうと頑張っていた矢先、姉の介護で振り回されて、結局私は、仕事のペースを落とさざるを得なくなりました。

現在の心配事と言えば、姉と私は3歳しか違わないので、もし私が病気や認知症になったり、姉より先に万が一のことがあったりすれば、私のひとり娘が姉の唯一の「家族」になってしまうということです。娘は、私の代わりにこんなに大変な姉の面倒を見なければならないのでしょうか。

いかがでしたでしょうか。

「家族」というだけで、どんな感情や事情があろうとも、周囲からは「家族なんだから面倒を見るのが当たり前」と思われてしまいますし、家族自身もそうした価値観・美学に縛られてしまいがちです。

美月さんの姉の真知さんは、すでに判断力を喪失してしまい、妹の美月さんにどれだけ面倒を見てもらうこととなったのかが、分からなくなってしまっています。

次回は、真知さんがこのように妹の美月さんに頼らずに済むためには、クモ膜下出血で倒れてしまう前に、どんな準備をしておけばよかったのかを解説します。